1969年4月、岩手県宮古市に生まれる。
小学4年生の頃、夏祭りステージで演奏していた地元ビッグバンド(フォローウィンズ)のトランペット奏者の熱演に感動しトランペットを独学で始めると同時に兄のギターをこっそりと弾きはじめる。
独学でトランペットをマスターし小学5年生でフォローウィンズに入門。
小学5年生から高校卒業までフォローウインズに在籍。
小学生の時からジャズ喫茶に出入りし、地元ミュージシャンとセッションする。
高校生の頃トランペットで器官を痛めギターへ転向する。
高校卒業後は上京し、スーパーマーケットで仕事をしながら音楽学校への道を探る。
夢はスタジオミュージシャンになることであった。
(松本伊代さんのファンであった為、武道館ライブアルバムのバックバンド「ガッシュアウト」に入りたかった)
20歳でミュージシャンになる夢を断念し帰郷。
バンド活動はほとんどやらず、CD音源とセッションする日々。
1997年頃から仙台に移住。1998年結婚。
2001年、ネットで知り合ったメンバーと定禅寺ジャズフェスに出る。(その時の映像)
以後、子育てや不規則な仕事で音楽から遠ざかり、機材も売り払ってしまう。
唯一、1989年〜1990年製の白いフェンダージャパンストラト(自称qriponn Custom)だけが残った。
2006年までのほぼ5年間は全くギターにも触らなかった。
2006年11月頃、今は終了してしまった「プレイヤーズ王国」サイトで音楽好きなアマチュアミュージシャン達の音源に刺激され、機材収集とリハビリを始める。
2007年頃から、宅録でのオリジナル曲を発表し始める。
2009年8月、宮古市長根寺の第1回オテライブで久々に人前で生ライブをする。
2010年、ちょこちょこセッションに出かけて腕試しを始める。
2011年後半、セッションリーダーが亡くなった事もありセッションに出かけなくなる。禁煙外来にて禁煙に成功するが、体重が10キロ以上増量する。
2012年、ほぼ活動は停滞し、腕と機材の調整ばかりの日々を送る。
2013年、新たな出会いがありセッション活動を復活させるも7月腰椎椎間板ヘルニアの手術。
2014年1月、仕事復帰。非正規社員の権利獲得の為、労働組合活動を始める。
2015年6月、非正規賞与格差是正を求め労働審判申し立て。
2015年、労働問題の活動が忙しくなりセッションを休む事が多かったので反省。
2015年10月、労働審判が本訴へ移行。
2016年、まだまだ精進がたりないと感じる1年だった。
2017年3月30日、平成27年(ワ)第999号損害賠償請求事件裁判(非正規賞与格差改善を求めた訴訟)、敗訴し控訴。
2017年、歌って弾けるギタリストでなければならないと痛感。
2017年10月11日、仙台高等裁判所平成29年(ネ)第165号損害賠償請求控訴事件(仙台地裁平成29年(ワ)第999号)敗訴し上告。
2018年4月、「qriponn(くりぽん)」から「はたけん」へ改名。
2018年5月、非正規から正社員となる。
2018年8月29日、最高裁判所平成29年(オ)第1756号及び平成29年(受)第2168号(仙台高裁平成29年(ネ)第165号)最高裁上告不受理、棄却により敗訴する。
2018年末より、2021年まで活動を休業する宣言。音楽をする意味、何の為に音を出すのかを考える。
2019年、セッション活動休止。労働問題や社会問題についての考察を行う。
2020年、音楽活動よりも日記などによる執筆活動での自己表現が楽しい年だった。
2021年、こんな世の中でいいのだろうかと思える1年だった。
2022年、ジャズ系セッションに参加しセッション活動を再開し始めた。やはりジャズが好きなんだと思った。10月、宮城合同労組第62回定期大会において書記局員から副執行委員長に任命される。
2023年、もっとジャズギターが上手くなりたいと思う出来事が多い1年だったし、それよりも人間性を高めていかなければならないと思った1年だった。
2024年、パットメセニーさんを生で体感し精神性を高めなければと考えると先祖の事をもっと知りたくなり、先祖を遡れば誰でも皆、神様の子だという考えから神社参拝にはまった1年だった。
アマチュア音楽家、アマチュア労働問題研究家、神社参拝好きオジサンとして活動している。
労働問題に関しては、宮城合同労働組合副執行委員長として社会環境の改善に取り組んでいる。(無報酬である為アマチュアと称する)
2025年の目標。
体重をあと数キロ減らす。(毎年言っている)
ギターを上達させる。(毎年言っている)
人間性を高める。(去年から言い始めた)
自分の演奏やサウンドが聴いてくれた人の支えや励ましになれればと。
労働環境や格差社会の改善、神社好きな人を増やす事に尽力したい。
2025 はたけん